日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

三日牧師

盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と
妻の朗美による日記です。
ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界
というようなイメージは払拭されることでしょう。
どうぞ楽しんでください。

牧師・大塚史明、妻・朗美、娘・恵連、協音

「分かち合うこと」

1229 2022.2.14

こども食堂は諸事情により1月末が最後の開催となりました。
今年度、週2日開催となってから全62回、2,666食のお弁当を作り、利用される方々へ手渡し、配達することができました。

毎回のメニュー作り、報告やまとめ、野菜や果実の受け取り、支援者との連絡や事務処理等この働きにはさまざまな面がありましたが、一つ一つ守られてきたことを神様に感謝しています。
この働きは私たち奉仕者、利用者、支援者の三者がいて初めて成り立つものです。
また、その関係は必ず「対等であること」を意識して取り組んできました。
誰かが優劣の関係がないからこそ、私たちこども食堂の健全さが保たれると考えたからです。

毎回、ボランティアの皆様がお手伝いくださり、お弁当が仕上がったときは歓声があがり、利用くださる方々からも食卓での様子を写メしていただいたり、感想の声をお聞かせくださったりしました。

提供品や賛助金でサポートくださった方々は毎回気持ちよくご支援いただきました。
心から感謝申し上げます。

与える、受け取るだけでなく「分かち合う」という双方向が恵みを味わうものとなったことが本当に嬉しく思います。

体のビタミンのご提供は終了することとなりましが、心の糧は引き続き日曜礼拝で休みなくご提供しております。
ぜひ、生きる源である心の糧を食べに日曜礼拝へ行きましょう!

分かち合うこと

分かち合うこと

▲ このページの先頭へ

「今年観戦したもの」

1228 2021.12.28

昨年に引き続き「感染」が世界も周囲も席巻してしまう日々でしたが、対策をして「観戦」の機会もありました。一つは秋に出張と重なり図らずも楽天オリックスの最終戦に出向くことができました。高校野球の地区予選が一番の好物ですが、稀代のエース同士の投げあいはなかなか見ることができません。田中将大投手と山本由伸投手。両投手の遠投調整から食い入るように見、秋の寒さに心身引き締まったゲーム観戦でした。以前は要所を締めて勝っていたのが田中マー君ですが、この夜は山本由伸投手がそれを凌駕していました。速球もフォークもカーブもすさまじい。常に打者に正対する投球動作は、立ち向かうこと、支配することの強さを感じさせてくれました。外野からその後姿をとくと拝見しました。定位置のラオウ様の太ももの立派さにもあずかり幸せでした。

もう一つはグルージャ盛岡の観戦です。地元のチームでありながら損距離は遠く、サッカー観戦自体が大学以来。ちょうどチームはJ3からJ2への昇格(現地ではマスコットのキヅールにかけて昇鶴)が現実味を帯びていてスタジアムも熱気に包まれていました。珍しく娘たちが「また観たい!」との感想を。勝利も見届けよい初観戦の記念日になりました。

スポーツ「生」観戦の醍醐味は、熱を感じて、プレーに引き込まれること。そして、日頃は他人を見て比較したり落ち込んだり、場合によっては嫉妬までするのに、スポーツになると神さまがその人に与えておられる賜物ってすごい!と素直にほめたたえることができるので不思議です。これは精神的にも良い効果をもたらしてくれるので、ぜひおすすめです。

今年観戦したもの

今年観戦したもの

▲ このページの先頭へ

「ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!」

1227 2021.12.20

12月12日(日)は「みんなのクリスマス礼拝」でした。
特にこどもにも退屈しない、わかりやすい、ほんとうのクリスマスを知る機会として、一緒に礼拝できる内容をご用意し、友人知人や家族の皆様をお招きしました。
コロナ禍にもかかわらず、たくさんの親子、ご夫妻、ファミリーが参加されました!
嬉しかったです!

皆さんとクリスマスの賛美を歌ったあとは、
せっかく素敵な子どもたちが来たので、神様と一緒にいつもとちょっと違う楽しいプログラムにしました。
なんと礼拝で「じゃんけん列車!」笑
これをすることで、どんな人が来ているのかお互いに顔を見て知ることができます。

その後はクリスマスクイズ!
大人も子どもも参加して、何問正解できるか競いました。
これだけでも知らなかった本当のクリスマスの意味を少し知ることができましたね。

そして、いつもは「フーミン!」と子どもたちから呼ばれている大?牧師から、聖書のクリスマスメッセージを聴きました。
フーミン先生のポケットから出て来た千円札に釘付けでした。

千円札は新札でもぐちゃぐちゃになっても「千円の価値」は変わらないように、
わたしたちひとりひとりも、どんな境遇の中にいて、自分の価値がわからなくなったとしても、神様から尊い作品とされている価値は変わらない。
良いことをしたから。悪いことをしなかったからとか、
仕事で高い地位にいるから、お金をたくさん稼いでいるからなどで人の評価が決まるわけではありません。
神様はわたしたちを尊い宝だと評価してくださる証拠に、神の子が人間のかたちをとって、私たちの心の罪をゆるすため、いのちをかけて十字架にかかるため生まれてくださったのがクリスマスだと知りました。

だから、永遠に神様と一緒に生きていられるいのち(天国へ行けるいのち)を与えてくださったイエスさまにありがとう!と感謝をして生きていく人生が、私たちのほんとうの幸せの道なのですね。

どの子どもたちも真剣に静かに聞いていました。素晴らしいです。

ぜひ毎週日曜日の朝10時30分から、神様が毎週皆様が礼拝に来られるのを待っておられますので、神様と一緒に歩みましょう。

ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!

ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!

▲ このページの先頭へ

「★アドベント(待降節)の過ごし方★」

1226 2021.11.30

今週から教会の暦は「アドベント」に入りました。
11/28〜 4週目にクリスマスを迎えるように設定されています。
その理由は、私たちがクリスマスを「待望して過ごす」ためです。
クリスマスプレゼントを期待して待つように、救い主の誕生を待ちきれないような思いを募らせてまいりたいと願います。
毎年、記すことですが「アドベント」とはラテン語で「到来する」「立ち起こる」という意味で、そこから「アドベンチャー(冒険)」という言葉が生まれました。
それは私たちの人生を表す言葉そのものです。
この先に何が起こるのか知りえません。
それでも、一歩ずつ足を前へ踏み出すことが人生の営みであり、人生は冒険だと言われるゆえんです。
その先に何があるか分からないから足を踏み出しませんというのであれ ば、冒険は終わりです。
それは人生の歩みを止めることにも通じます。
特に、昨年来から猛威をふるい、世界中を混乱させる新型ウィルスの影響はまだまだ色濃いものです。
ただ、その中にあっても、主の教会は希望、まことの光、救い主を待望してやみません。
むしろ、暗闇に打ち勝つ光をかかげ、礼拝し、賛美し、また人々を招いてこの時 を過ごします。
このアドベントの先にクリスマスがあるように、私たちの宣教も必ずイエス・キリストの光に行く着くものです。
これこそ、アドベントで私たちが受け取る恵みであり、注がれる勇気です。今、戸惑っていること、立ちすくんでいる状況におありでしょう か。
神を疑い、恐怖や心配に押しつぶされそうでしょうか。
そんな時、ぜひアドベントとクリスマスのつながりを思い出してください!
その道はイエスさまによる、永遠の滅びからの救いにたどり着き、神様が今も後も永遠に共にいてくださるという力と希望と平安が備えられています。

ご一緒に救い主の誕生日であるクリスマスを待ち望む喜びのときを過ごそうではありませんか。
教会では救い主の誕生をお祝いする日を待ちわびて、クリスマスツリーなどの飾り付けをしまし、毎週日曜日の朝10時30分より日曜礼拝にて、皆様のお越しをお待ちしています。

★アドベント(待降節)の過ごし方★

★アドベント(待降節)の過ごし方★

▲ このページの先頭へ

「今一度、洗濯致し候」

1225 2021.11.9

この夏、洗濯機を洗浄しました。家にある工具でモノを見つめれば、安全に分解、掃除することができます。とはいえ、盛岡着任の年に購入して以来、夫婦、家族の衣服類を洗い続けてくれた功労者がこれを機に壊してはならないと、労りつつ、恐る恐るの作業でした。先にも書きましたが、元来手先が器用でない私は、分解から再組み立てをすれば必ず部品を余らせる腕前。このときは外したネジ類をお皿に分けて用心しておきました。

ドラムやそれを覆うものを取り外せた時の嬉しさ。汚れを落とす快感。再装着し、無事動いたときの安堵。思わず坂本龍馬が言ったか言わなかったかの名言が頭を駆け巡り、無事稼働してくれた洗濯機も自身の中身を回しながら「これからも、洗濯致し候」と言っているかのようでした。

さあ、自らの身も心も洗濯しよう。そうしよう。

今一度、洗濯致し候

今一度、洗濯致し候

▲ このページの先頭へ

「【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】」

1224 2021.10.4

世の中では10月になるとハロウィンのお祭りで賑わっていますね。
スーパーでもおやつのパッケージがハロウィン、ショッピングモールでもハロウィンの飾り付けだらけです。

ハロウィン(Halloween)はいったい何のお祭りかご存知ですか?

キリスト教の行事だと思っている人が多いようですね。
しかし、ハロウィンはキリスト教の行事ではありません!!
聖書の教えにもありません。
悪魔のとらえ方を大きく間違えています。
悪魔が降りてくる日でも、
聖書に記されている先祖(聖者??)が降りてくる日でもありません。
聖書にはそのようなことは一切書かれていません。

悪魔の装いをしたら、悪魔が仲間だと思うというような愚かな考え方で、
ヨーロッパの伝統やさまざまな国の言い伝えが入り混じってできあがったわけのわからない行事です。

『悪魔を軽視した危険な行為の行事です。』

私たちが本当に恐るべき方は悪魔ですか?

実は悪魔でさえ、聖書の神様を認めて怖がっているのです。
本当に畏れるべきお方は、
天地万物を造り、全知全能の唯一の神であり、
その全能の愛であなたを覆い守り導き救う方です。

神様の祝福の恵みの中で平安の人生を送りたいなら、
悪魔をもてあそぶような危険な行事には参加しないよう、
NOの姿勢をとりましょう。

神様が悲しむ、神様が嫌うことを止め、
神様が喜ぶことを選んで過ごしましょう。






#ハロウィン #ハロウィーン #halloween #Halloween #キリスト教ではない #悪魔礼拝の行事 #悪魔軽視の行事 #ハロウィンの本当の意味 #ハロウィンとは #ハロウィンの意味 #聖書 #キリスト教

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

▲ このページの先頭へ

「日本同盟基督教団について】」

1223 2021.9.22

今年は盛岡みなみ教会が所属する日本同盟キリスト教団の宣教130周年なので、今月23日には記念大会がオンライで開かれます。

日本同盟キリスト教団は1891年11月22日、横浜に15名の宣教師たちが上陸し、開拓伝道をスタートさせたのが始まりです。
呼びかけはフレデリック・フランソンというスウェーデン人でジョージ・ミュラー(英国での孤児院等)やハドソン・テーラー(中国宣教)などが同時代に刺激しあい主の働きを進めた仲間でした。
15人の中には牧師、信徒、そして女性も多く含まれていました。
「伝道が困難な地域へ」をモットーに伊豆半島、房総半島、飛騨地方、アイヌ人伝道に力を注ぎました。
伝道の成果によって各地に教会が誕生しました。
約30年後の1922年に日本同盟基督協会を設立し、教団としての歩みが始まっています。
戦時下は、宗教団体法施行にともなって1940年日本聖化基督教団となり、日本基督教団第8部に所属することとなりました。
この間、礼拝でも「ゼロ戦のために献金」とか「宮城遥拝(天皇と皇居に向かって敬礼する)」が当然のようになされていたことが、各教会に残された週報等によって明らかにされています。

みなみ教会の週報や説教要旨、このコラムも後の時代に大きな意味を持つことにもなる大事なものです。
ぜひ、そういう位置づけで週報を取り扱ってみてください。

戦時下の政局に従う形で形成された日本聖化基督教団から、一部の教会が離脱し、1948年に現在の「日本同盟基督教団」が発足しました。
戦争責任をしっかりと告白し、悔い改めの場所に立って、たましいの救いのために伝道に励むことを志した教会が集まったのがその始まりです。
よく「聖書を信じているなら、なぜこんなにもたくさんの教団、教派があるのか」「唯一の神を信じると言い、他宗教に不寛容なのは理解できない」など疑問を抱いたり、投げかけられることがあります。
教団、教派に関しては、そのルーツとなった宣教団体や宣教師、牧師を派遣して支える母体によるところが大部分かと考えます。
政治のように、対立したり仲が悪いということでは決してありません。
逆に、どこが正しくて、どこが間違っているという枝葉末節の試みは、かえって分断や憎悪を生み出しかねません。
単に生み出された歴史の違いであって、争いのために宗派があるわけではないのです。
聖書とは明らかに異なる主義主張を唱えているとか、伝道の障害になるようなスタイルを持っているならばそれらは問題ですが、
信仰生活や教会運営に関わる細かな部分に関してはそれぞれの特徴を有していることで、より多くの方に福音が届く可能性を秘めています。
イエスさまの弟子には、漁師や取税人、そして熱心党員(過激派)もいました。

「あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます」(ピリピ1:18)

人間の歴史を通して御心をなされる主の導きを、心に留めておきましょう。

重ねて、明日行われる130周年大会に多くの方々が参加し、神様の歴史をほめたたえ、その恵みを味わうときであることを願っています。

日本同盟基督教団について】

▲ このページの先頭へ

「レストアした自転車のお話。」

1222 2021.9.12

自分の手でするということは、多くのことを学びながら、模索しながら、進め、下がり、また進んでいくということなのだというレッスンでした。
学校や世の試験は問題があり、正解を探し出したり、最適解を早道で割り出すことで通過することができます。
そういう勉強はよくしたように思いますが、自分でやってみて考える、それがうまくいくように改善するという試験は避けてきたように思うのです。
自分は不器用だから、既製品を買ったほうが早いし丈夫・・・そんな思考回路と生活様式に慣れていた自分にとって、新鮮な道でした。

自転車をバラして持てるようになったフレーム。
その塗装を全部剥離して、磨きます。
細かい部分を剥離するのは溶剤だけでは無理なので、金ブラシや耐水ヤスリを使って数日かけて剥がしてあげます。
こうして、ようやくご対面できた下地から塗装が始まります。
今回は元々が黒だったので、白にしようと取り掛かりましたが、一度自転車に詳しい方に見せると「これはまだ試験段階でしょ?下地を見せないと」と出直しを命じられ、DIYの深さを知りました。
良い塗装は下地を見せるものなんですよ、と格言をいただいて、持ち帰り再挑戦。
そうして段階を学んでいくことには根気や忍耐もいりますが、より良いものにするためにという目的が意欲を掻き立ててくれました。

人間にも「育ちが出る」などと言いますが、自分の下地も言動や振る舞いに出るものですね、きっと。
見せられる下地であるために、磨き、磨かれたいと思った夏でした。

レストアした自転車のお話。

レストアした自転車のお話。

▲ このページの先頭へ

「賜物開花の音がする」

1221 2021.9.8

親からの遺伝、いや授かった賜物は何でしょうか。
私はなんといっても家に聖書があったことが最大の贈り物です。
その次は・・・おそらく家族の突然変異で運動神経ももらいました。
そして、最大の遺伝は「不器用さ」かもしれません(お父様、ごめんなさい)。
母は手先が器用で絵も字も上手。父はその逆っぽいです(お父様、重ねてごめんなさい)。

そんな遺伝子を強めに受けた私は、アイデアはあるもののそれを実現する手立てや技術、準備や入念さが悲しいほど備わっておりませんでした。
しかし、今年の変革でしょうか、DIYの波がここにもやってきて、ひそかに取り組んだものがありました。
それが「自転車のオーバーホール(レストアかな)」です。
長女が生まれた際、自分用に購入したマウンテンバイクが古くなり、このたび新調したのですが、その古い自転車をオブジェにできないかと考えてから触り始め、次第に色々とできそうなことが分かって、次女(中学生)への贈り物にすべく取り組みました。

内容は、塗装を全剥離してやり直す。
傷んだ部品を取り替える(ワイヤー、チェーン、シート、タイヤ一式)。
使えるものを磨く。部品をなくさないようにする、ですね。
全てバラしたので、完成までいけるか半信半疑でしたが、知人に自転車のエキスパートを紹介いただき、手ほどきを受けながらこのたびめでたく完成しました!

他にどこにもない最高の1台で、何か次女の手に渡るのが惜しいほど。
途中の失敗もありましたが、やり直す工程で新たに良いアイデアがひらめいたりと楽しい作業でした。

早く完成させたい!一心で時間を見つけては触っていましたが、いざ組み上がると寂しいものです・・・・。

そして、次のDIYのターゲットを探すという好循環にハマっています。
何よりも不器用な自分がこういうことができるようになるのが一番楽しいのかもしれません。
妻からも驚かれています。笑

皆様にも今までにない、あるいは気づかなかった賜物(才能)が開花するかもしれませんね。
まずは諦めないでチャレンジ!

賜物開花の音がする

賜物開花の音がする

▲ このページの先頭へ

「対話の道しるべ」

1220 2021.8.2

「対話」はコミュニケーションの最重要要素です。よく「人は見た目が9割」とか言われますが、それでは不十分です。言葉を交わさないなら、コミュニケーションは成り立たないからです。もちろん、面接など限られた時間内では表情や身なり、仕草も判断材料とされるでしょうが、それらは一時的、瞬間的なもので、「対話」にまさる相互理解の道はないと言えるでしょう。それでは、どのように「対話」をすればよいでしょうか。

第一に「対話ができる」というだけで、相手との関係は良好と言えます。一対一でも、団体との交渉も、国同士の外交も「対話」という方法を取れることが大事だからです。対話が成り立たないとしたら、力関係がはっきりしすぎてるか、敵対関係にあるかです。例えば上司による一方的な命令・辞令、憎しみや怒りによって対話が不可能な関係、暴力やスパイ行為によって相手を支配する場合もあります。それらを除けば、「対話ができる」ことはより良好な関係を築く可能性、土台に乗っているということです。ここから始められれば、次のステップに向かうことができますね。

第二に「相手の言っていることを聞く」ことです。これは簡単、当たり前のようでいて本当に難しいのです。音として「聞く」ことはできても、心をともなって「聴く」ことはなかなかできるものではありません。ついつい相手の話を遮って「この前もそう言ってたよね」「私はそう思わないけど」「また今度にしよう」と相手の言っていることを聞くことをやめてしまっているのです。ペットや植物が良いのはこの点にあります。彼らは何も反論をしないので「本当によく聞いてくれる」「あなただけが私を分かってくれているのね」と感じます。人は、自分の話を聞いてもらうだけで大変慰めを受けるものです。ついつい親身になってアドバイスを、と気を張らなくても、聞くことで「対話は成立」するのです。

第三に「相手との溝を気にしない」ことです。対話をすれば100%相手のことが分かってスッキリするかと言えばそうでない場合も多々あります。話を聞いて傷ついたり、自分が想像していたのとは違う考えを相手が持っていたことが分かりショックを受けたりもします。対話はお互いの間にある溝を完全になくすものではありません。それをゴールにしてしまうと自分は対話力がない、コミュニケーション障害だ・・・と落ち込み、億劫になってしますいことも。対話によっては、少なくとも「相手がそのように考えていたのだ」と分かることが大事です。身近な人とこそ、幅と奥行きのある対話を心がけ実践したいと願います。

(写真は新緑の盛岡市内、中津川ほとりにて)

対話の道しるべ

対話の道しるべ

▲ このページの先頭へ

盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と妻の朗美による日記です。ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界というようなイメージは払拭されることでしょう。どうぞ楽しんでください。

分かち合うこと

1229 2022.2.14

分かち合うこと

分かち合うこと

こども食堂は諸事情により1月末が最後の開催となりました。
今年度、週2日開催となってから全62回、2,666食のお弁当を作り、利用される方々へ手渡し、配達することができました。

毎回のメニュー作り、報告やまとめ、野菜や果実の受け取り、支援者との連絡や事務処理等この働きにはさまざまな面がありましたが、一つ一つ守られてきたことを神様に感謝しています。
この働きは私たち奉仕者、利用者、支援者の三者がいて初めて成り立つものです。
また、その関係は必ず「対等であること」を意識して取り組んできました。
誰かが優劣の関係がないからこそ、私たちこども食堂の健全さが保たれると考えたからです。

毎回、ボランティアの皆様がお手伝いくださり、お弁当が仕上がったときは歓声があがり、利用くださる方々からも食卓での様子を写メしていただいたり、感想の声をお聞かせくださったりしました。

提供品や賛助金でサポートくださった方々は毎回気持ちよくご支援いただきました。
心から感謝申し上げます。

与える、受け取るだけでなく「分かち合う」という双方向が恵みを味わうものとなったことが本当に嬉しく思います。

体のビタミンのご提供は終了することとなりましが、心の糧は引き続き日曜礼拝で休みなくご提供しております。
ぜひ、生きる源である心の糧を食べに日曜礼拝へ行きましょう!

▲ページの先頭へ

今年観戦したもの

1228 2021.12.28

今年観戦したもの

今年観戦したもの

昨年に引き続き「感染」が世界も周囲も席巻してしまう日々でしたが、対策をして「観戦」の機会もありました。一つは秋に出張と重なり図らずも楽天オリックスの最終戦に出向くことができました。高校野球の地区予選が一番の好物ですが、稀代のエース同士の投げあいはなかなか見ることができません。田中将大投手と山本由伸投手。両投手の遠投調整から食い入るように見、秋の寒さに心身引き締まったゲーム観戦でした。以前は要所を締めて勝っていたのが田中マー君ですが、この夜は山本由伸投手がそれを凌駕していました。速球もフォークもカーブもすさまじい。常に打者に正対する投球動作は、立ち向かうこと、支配することの強さを感じさせてくれました。外野からその後姿をとくと拝見しました。定位置のラオウ様の太ももの立派さにもあずかり幸せでした。

もう一つはグルージャ盛岡の観戦です。地元のチームでありながら損距離は遠く、サッカー観戦自体が大学以来。ちょうどチームはJ3からJ2への昇格(現地ではマスコットのキヅールにかけて昇鶴)が現実味を帯びていてスタジアムも熱気に包まれていました。珍しく娘たちが「また観たい!」との感想を。勝利も見届けよい初観戦の記念日になりました。

スポーツ「生」観戦の醍醐味は、熱を感じて、プレーに引き込まれること。そして、日頃は他人を見て比較したり落ち込んだり、場合によっては嫉妬までするのに、スポーツになると神さまがその人に与えておられる賜物ってすごい!と素直にほめたたえることができるので不思議です。これは精神的にも良い効果をもたらしてくれるので、ぜひおすすめです。

▲ページの先頭へ

ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!

1227 2021.12.20

ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!

ほんとうのクリスマスはほんとうに楽しい!

12月12日(日)は「みんなのクリスマス礼拝」でした。
特にこどもにも退屈しない、わかりやすい、ほんとうのクリスマスを知る機会として、一緒に礼拝できる内容をご用意し、友人知人や家族の皆様をお招きしました。
コロナ禍にもかかわらず、たくさんの親子、ご夫妻、ファミリーが参加されました!
嬉しかったです!

皆さんとクリスマスの賛美を歌ったあとは、
せっかく素敵な子どもたちが来たので、神様と一緒にいつもとちょっと違う楽しいプログラムにしました。
なんと礼拝で「じゃんけん列車!」笑
これをすることで、どんな人が来ているのかお互いに顔を見て知ることができます。

その後はクリスマスクイズ!
大人も子どもも参加して、何問正解できるか競いました。
これだけでも知らなかった本当のクリスマスの意味を少し知ることができましたね。

そして、いつもは「フーミン!」と子どもたちから呼ばれている大?牧師から、聖書のクリスマスメッセージを聴きました。
フーミン先生のポケットから出て来た千円札に釘付けでした。

千円札は新札でもぐちゃぐちゃになっても「千円の価値」は変わらないように、
わたしたちひとりひとりも、どんな境遇の中にいて、自分の価値がわからなくなったとしても、神様から尊い作品とされている価値は変わらない。
良いことをしたから。悪いことをしなかったからとか、
仕事で高い地位にいるから、お金をたくさん稼いでいるからなどで人の評価が決まるわけではありません。
神様はわたしたちを尊い宝だと評価してくださる証拠に、神の子が人間のかたちをとって、私たちの心の罪をゆるすため、いのちをかけて十字架にかかるため生まれてくださったのがクリスマスだと知りました。

だから、永遠に神様と一緒に生きていられるいのち(天国へ行けるいのち)を与えてくださったイエスさまにありがとう!と感謝をして生きていく人生が、私たちのほんとうの幸せの道なのですね。

どの子どもたちも真剣に静かに聞いていました。素晴らしいです。

ぜひ毎週日曜日の朝10時30分から、神様が毎週皆様が礼拝に来られるのを待っておられますので、神様と一緒に歩みましょう。

▲ページの先頭へ

★アドベント(待降節)の過ごし方★

1226 2021.11.30

★アドベント(待降節)の過ごし方★

★アドベント(待降節)の過ごし方★

今週から教会の暦は「アドベント」に入りました。
11/28〜 4週目にクリスマスを迎えるように設定されています。
その理由は、私たちがクリスマスを「待望して過ごす」ためです。
クリスマスプレゼントを期待して待つように、救い主の誕生を待ちきれないような思いを募らせてまいりたいと願います。
毎年、記すことですが「アドベント」とはラテン語で「到来する」「立ち起こる」という意味で、そこから「アドベンチャー(冒険)」という言葉が生まれました。
それは私たちの人生を表す言葉そのものです。
この先に何が起こるのか知りえません。
それでも、一歩ずつ足を前へ踏み出すことが人生の営みであり、人生は冒険だと言われるゆえんです。
その先に何があるか分からないから足を踏み出しませんというのであれ ば、冒険は終わりです。
それは人生の歩みを止めることにも通じます。
特に、昨年来から猛威をふるい、世界中を混乱させる新型ウィルスの影響はまだまだ色濃いものです。
ただ、その中にあっても、主の教会は希望、まことの光、救い主を待望してやみません。
むしろ、暗闇に打ち勝つ光をかかげ、礼拝し、賛美し、また人々を招いてこの時 を過ごします。
このアドベントの先にクリスマスがあるように、私たちの宣教も必ずイエス・キリストの光に行く着くものです。
これこそ、アドベントで私たちが受け取る恵みであり、注がれる勇気です。今、戸惑っていること、立ちすくんでいる状況におありでしょう か。
神を疑い、恐怖や心配に押しつぶされそうでしょうか。
そんな時、ぜひアドベントとクリスマスのつながりを思い出してください!
その道はイエスさまによる、永遠の滅びからの救いにたどり着き、神様が今も後も永遠に共にいてくださるという力と希望と平安が備えられています。

ご一緒に救い主の誕生日であるクリスマスを待ち望む喜びのときを過ごそうではありませんか。
教会では救い主の誕生をお祝いする日を待ちわびて、クリスマスツリーなどの飾り付けをしまし、毎週日曜日の朝10時30分より日曜礼拝にて、皆様のお越しをお待ちしています。

▲ページの先頭へ

今一度、洗濯致し候

1225 2021.11.9

今一度、洗濯致し候

今一度、洗濯致し候

この夏、洗濯機を洗浄しました。家にある工具でモノを見つめれば、安全に分解、掃除することができます。とはいえ、盛岡着任の年に購入して以来、夫婦、家族の衣服類を洗い続けてくれた功労者がこれを機に壊してはならないと、労りつつ、恐る恐るの作業でした。先にも書きましたが、元来手先が器用でない私は、分解から再組み立てをすれば必ず部品を余らせる腕前。このときは外したネジ類をお皿に分けて用心しておきました。

ドラムやそれを覆うものを取り外せた時の嬉しさ。汚れを落とす快感。再装着し、無事動いたときの安堵。思わず坂本龍馬が言ったか言わなかったかの名言が頭を駆け巡り、無事稼働してくれた洗濯機も自身の中身を回しながら「これからも、洗濯致し候」と言っているかのようでした。

さあ、自らの身も心も洗濯しよう。そうしよう。

▲ページの先頭へ

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

1224 2021.10.4

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

世の中では10月になるとハロウィンのお祭りで賑わっていますね。
スーパーでもおやつのパッケージがハロウィン、ショッピングモールでもハロウィンの飾り付けだらけです。

ハロウィン(Halloween)はいったい何のお祭りかご存知ですか?

キリスト教の行事だと思っている人が多いようですね。
しかし、ハロウィンはキリスト教の行事ではありません!!
聖書の教えにもありません。
悪魔のとらえ方を大きく間違えています。
悪魔が降りてくる日でも、
聖書に記されている先祖(聖者??)が降りてくる日でもありません。
聖書にはそのようなことは一切書かれていません。

悪魔の装いをしたら、悪魔が仲間だと思うというような愚かな考え方で、
ヨーロッパの伝統やさまざまな国の言い伝えが入り混じってできあがったわけのわからない行事です。

『悪魔を軽視した危険な行為の行事です。』

私たちが本当に恐るべき方は悪魔ですか?

実は悪魔でさえ、聖書の神様を認めて怖がっているのです。
本当に畏れるべきお方は、
天地万物を造り、全知全能の唯一の神であり、
その全能の愛であなたを覆い守り導き救う方です。

神様の祝福の恵みの中で平安の人生を送りたいなら、
悪魔をもてあそぶような危険な行事には参加しないよう、
NOの姿勢をとりましょう。

神様が悲しむ、神様が嫌うことを止め、
神様が喜ぶことを選んで過ごしましょう。






#ハロウィン #ハロウィーン #halloween #Halloween #キリスト教ではない #悪魔礼拝の行事 #悪魔軽視の行事 #ハロウィンの本当の意味 #ハロウィンとは #ハロウィンの意味 #聖書 #キリスト教

▲ページの先頭へ

日本同盟基督教団について】

1223 2021.9.22

日本同盟基督教団について】

今年は盛岡みなみ教会が所属する日本同盟キリスト教団の宣教130周年なので、今月23日には記念大会がオンライで開かれます。

日本同盟キリスト教団は1891年11月22日、横浜に15名の宣教師たちが上陸し、開拓伝道をスタートさせたのが始まりです。
呼びかけはフレデリック・フランソンというスウェーデン人でジョージ・ミュラー(英国での孤児院等)やハドソン・テーラー(中国宣教)などが同時代に刺激しあい主の働きを進めた仲間でした。
15人の中には牧師、信徒、そして女性も多く含まれていました。
「伝道が困難な地域へ」をモットーに伊豆半島、房総半島、飛騨地方、アイヌ人伝道に力を注ぎました。
伝道の成果によって各地に教会が誕生しました。
約30年後の1922年に日本同盟基督協会を設立し、教団としての歩みが始まっています。
戦時下は、宗教団体法施行にともなって1940年日本聖化基督教団となり、日本基督教団第8部に所属することとなりました。
この間、礼拝でも「ゼロ戦のために献金」とか「宮城遥拝(天皇と皇居に向かって敬礼する)」が当然のようになされていたことが、各教会に残された週報等によって明らかにされています。

みなみ教会の週報や説教要旨、このコラムも後の時代に大きな意味を持つことにもなる大事なものです。
ぜひ、そういう位置づけで週報を取り扱ってみてください。

戦時下の政局に従う形で形成された日本聖化基督教団から、一部の教会が離脱し、1948年に現在の「日本同盟基督教団」が発足しました。
戦争責任をしっかりと告白し、悔い改めの場所に立って、たましいの救いのために伝道に励むことを志した教会が集まったのがその始まりです。
よく「聖書を信じているなら、なぜこんなにもたくさんの教団、教派があるのか」「唯一の神を信じると言い、他宗教に不寛容なのは理解できない」など疑問を抱いたり、投げかけられることがあります。
教団、教派に関しては、そのルーツとなった宣教団体や宣教師、牧師を派遣して支える母体によるところが大部分かと考えます。
政治のように、対立したり仲が悪いということでは決してありません。
逆に、どこが正しくて、どこが間違っているという枝葉末節の試みは、かえって分断や憎悪を生み出しかねません。
単に生み出された歴史の違いであって、争いのために宗派があるわけではないのです。
聖書とは明らかに異なる主義主張を唱えているとか、伝道の障害になるようなスタイルを持っているならばそれらは問題ですが、
信仰生活や教会運営に関わる細かな部分に関してはそれぞれの特徴を有していることで、より多くの方に福音が届く可能性を秘めています。
イエスさまの弟子には、漁師や取税人、そして熱心党員(過激派)もいました。

「あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます」(ピリピ1:18)

人間の歴史を通して御心をなされる主の導きを、心に留めておきましょう。

重ねて、明日行われる130周年大会に多くの方々が参加し、神様の歴史をほめたたえ、その恵みを味わうときであることを願っています。

▲ページの先頭へ

レストアした自転車のお話。

1222 2021.9.12

レストアした自転車のお話。

レストアした自転車のお話。

自分の手でするということは、多くのことを学びながら、模索しながら、進め、下がり、また進んでいくということなのだというレッスンでした。
学校や世の試験は問題があり、正解を探し出したり、最適解を早道で割り出すことで通過することができます。
そういう勉強はよくしたように思いますが、自分でやってみて考える、それがうまくいくように改善するという試験は避けてきたように思うのです。
自分は不器用だから、既製品を買ったほうが早いし丈夫・・・そんな思考回路と生活様式に慣れていた自分にとって、新鮮な道でした。

自転車をバラして持てるようになったフレーム。
その塗装を全部剥離して、磨きます。
細かい部分を剥離するのは溶剤だけでは無理なので、金ブラシや耐水ヤスリを使って数日かけて剥がしてあげます。
こうして、ようやくご対面できた下地から塗装が始まります。
今回は元々が黒だったので、白にしようと取り掛かりましたが、一度自転車に詳しい方に見せると「これはまだ試験段階でしょ?下地を見せないと」と出直しを命じられ、DIYの深さを知りました。
良い塗装は下地を見せるものなんですよ、と格言をいただいて、持ち帰り再挑戦。
そうして段階を学んでいくことには根気や忍耐もいりますが、より良いものにするためにという目的が意欲を掻き立ててくれました。

人間にも「育ちが出る」などと言いますが、自分の下地も言動や振る舞いに出るものですね、きっと。
見せられる下地であるために、磨き、磨かれたいと思った夏でした。

▲ページの先頭へ

賜物開花の音がする

1221 2021.9.8

賜物開花の音がする

賜物開花の音がする

親からの遺伝、いや授かった賜物は何でしょうか。
私はなんといっても家に聖書があったことが最大の贈り物です。
その次は・・・おそらく家族の突然変異で運動神経ももらいました。
そして、最大の遺伝は「不器用さ」かもしれません(お父様、ごめんなさい)。
母は手先が器用で絵も字も上手。父はその逆っぽいです(お父様、重ねてごめんなさい)。

そんな遺伝子を強めに受けた私は、アイデアはあるもののそれを実現する手立てや技術、準備や入念さが悲しいほど備わっておりませんでした。
しかし、今年の変革でしょうか、DIYの波がここにもやってきて、ひそかに取り組んだものがありました。
それが「自転車のオーバーホール(レストアかな)」です。
長女が生まれた際、自分用に購入したマウンテンバイクが古くなり、このたび新調したのですが、その古い自転車をオブジェにできないかと考えてから触り始め、次第に色々とできそうなことが分かって、次女(中学生)への贈り物にすべく取り組みました。

内容は、塗装を全剥離してやり直す。
傷んだ部品を取り替える(ワイヤー、チェーン、シート、タイヤ一式)。
使えるものを磨く。部品をなくさないようにする、ですね。
全てバラしたので、完成までいけるか半信半疑でしたが、知人に自転車のエキスパートを紹介いただき、手ほどきを受けながらこのたびめでたく完成しました!

他にどこにもない最高の1台で、何か次女の手に渡るのが惜しいほど。
途中の失敗もありましたが、やり直す工程で新たに良いアイデアがひらめいたりと楽しい作業でした。

早く完成させたい!一心で時間を見つけては触っていましたが、いざ組み上がると寂しいものです・・・・。

そして、次のDIYのターゲットを探すという好循環にハマっています。
何よりも不器用な自分がこういうことができるようになるのが一番楽しいのかもしれません。
妻からも驚かれています。笑

皆様にも今までにない、あるいは気づかなかった賜物(才能)が開花するかもしれませんね。
まずは諦めないでチャレンジ!

▲ページの先頭へ

対話の道しるべ

1220 2021.8.2

対話の道しるべ

対話の道しるべ

「対話」はコミュニケーションの最重要要素です。よく「人は見た目が9割」とか言われますが、それでは不十分です。言葉を交わさないなら、コミュニケーションは成り立たないからです。もちろん、面接など限られた時間内では表情や身なり、仕草も判断材料とされるでしょうが、それらは一時的、瞬間的なもので、「対話」にまさる相互理解の道はないと言えるでしょう。それでは、どのように「対話」をすればよいでしょうか。

第一に「対話ができる」というだけで、相手との関係は良好と言えます。一対一でも、団体との交渉も、国同士の外交も「対話」という方法を取れることが大事だからです。対話が成り立たないとしたら、力関係がはっきりしすぎてるか、敵対関係にあるかです。例えば上司による一方的な命令・辞令、憎しみや怒りによって対話が不可能な関係、暴力やスパイ行為によって相手を支配する場合もあります。それらを除けば、「対話ができる」ことはより良好な関係を築く可能性、土台に乗っているということです。ここから始められれば、次のステップに向かうことができますね。

第二に「相手の言っていることを聞く」ことです。これは簡単、当たり前のようでいて本当に難しいのです。音として「聞く」ことはできても、心をともなって「聴く」ことはなかなかできるものではありません。ついつい相手の話を遮って「この前もそう言ってたよね」「私はそう思わないけど」「また今度にしよう」と相手の言っていることを聞くことをやめてしまっているのです。ペットや植物が良いのはこの点にあります。彼らは何も反論をしないので「本当によく聞いてくれる」「あなただけが私を分かってくれているのね」と感じます。人は、自分の話を聞いてもらうだけで大変慰めを受けるものです。ついつい親身になってアドバイスを、と気を張らなくても、聞くことで「対話は成立」するのです。

第三に「相手との溝を気にしない」ことです。対話をすれば100%相手のことが分かってスッキリするかと言えばそうでない場合も多々あります。話を聞いて傷ついたり、自分が想像していたのとは違う考えを相手が持っていたことが分かりショックを受けたりもします。対話はお互いの間にある溝を完全になくすものではありません。それをゴールにしてしまうと自分は対話力がない、コミュニケーション障害だ・・・と落ち込み、億劫になってしますいことも。対話によっては、少なくとも「相手がそのように考えていたのだ」と分かることが大事です。身近な人とこそ、幅と奥行きのある対話を心がけ実践したいと願います。

(写真は新緑の盛岡市内、中津川ほとりにて)

▲ページの先頭へ