日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

ことのは

「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。
「ことのは」とは言葉という意味です。
神さまのことばである聖書を、
普段の生活と結びつけて読んで頂ける様に
との祈りをこめています。

ことのは

希望を抱くクリスマス

2021年11月24日

◆ 希望のチカラ
あなたを動かしているチカラ、あなたを支えている土台は何でしょう。電化製品であれば電源が必要です。スマホは充電しなければ一分たりとも動きません。今回は、あなた自身を支え、動かしているものについて思い巡らしてみましょう。

答えその?・・・食べ物。そうですね、食べ物がなければ私たちは生きていけません。けれど、食べ物がのどを通らない、食事ができないほど落ち込むこともあります。食べ物を摂れば身体が動くという単純なことだけで私たち人間は生きているのではなさそうです。その他の物質的な要素、たとえば衣服や住まい、お金や生活必需品も同じですね。それらがあるだけで私たちは生きていけるのです、とは言い切れません。

答えその?・・・楽しみ。楽しみは生きる支えです。過去の思い出でも、これからの予定でも、それによって人は励まされます。しかし、楽しみは温泉に出かけたから、友人とお茶をしたから楽しいといったように、出来事によって引き出されるものです。楽しみが定期的に訪れるように仕組まれていれば良いのですが、そんなシステムに生きているわけではありません。楽しい出来事がないと私たちは楽しくないのです。楽しんでいるフリをしてもそのような空元気は長続きもしないですしね。

聖書の答え・・・希望。聖書には「あなたの将来には望みがある」と書いてあります。とてもシンプルですが、大切なメッセージです。聖書は、私たち人間が考え出したものではなく、神による知恵の書です。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」ともあります。神のことばである聖書こそ、私たちを動かすチカラであり、揺るぎない人生の土台なのです。

◆ 望まれているあなた
希望をもって生きられることは、素晴らしいことです。しかし、なかなかこの「希望を持つ」ことが難しいのが現実です。そこで、どうしたら希望を持って生きることができるのかを考えてみます。
その鍵は、「希望」とは私たちが「持つ」ものではなく、神によって「与えられる」ものだということです。自分で作り出すものは希望ではなく、願望です。不確かで、心もとない憶測でしかありません。真の希望とは、自分以外から与えられる確かな約束でなければなりません。聖書は「旧約聖書」「新約聖書」とあるように、神による「約束のことば」です。そして、約束をされているのが神さまだから、私たちは聖書の言葉を信頼できるのです。聖書の言葉はすべて神が必ずあなたに実現してくださる確約であり、そこに「あなの将来には望みがある」と約束されています。

誰一人「自分で望んで」生まれた人はいません。 けれども、あなたは「望まれて生まれ」た存在であり、それからもずーっと「望まれて生きている」存在です。まことの神さまがあなたに希望を注ぎ続けておられます。実は、あなたが生まれる前からあなたには希望が注がれ続けています。あなたは希望によって生まれ、望みによって生かされ続けている宝の存在だということを忘れないでください。どんな家庭環境で生まれ育ったか、どんな多難な人生を歩んでいるか、 つぶやいて正気を失う前にあなたにはやるべきことがあります。それは、希望を与え続け、それを必ず成し遂げてくださる神さまを仰ぎ見ることです。ずっとあなたは望まれていました。これからもあなたの将来には希望があります。

今年のクリスマスは、ぜひあなたに希望を与えてくださる神さまに感謝の礼拝をささげに教会へおいでください。希望に向かって一歩前へ踏み出しましょう。

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「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。「ことのは」とは言葉という意味です。神さまのことばである聖書を、普段の生活と結びつけて読んで頂ける様にとの祈りをこめています。

希望を抱くクリスマス

2021年11月24日

◆ 希望のチカラ
あなたを動かしているチカラ、あなたを支えている土台は何でしょう。電化製品であれば電源が必要です。スマホは充電しなければ一分たりとも動きません。今回は、あなた自身を支え、動かしているものについて思い巡らしてみましょう。

答えその?・・・食べ物。そうですね、食べ物がなければ私たちは生きていけません。けれど、食べ物がのどを通らない、食事ができないほど落ち込むこともあります。食べ物を摂れば身体が動くという単純なことだけで私たち人間は生きているのではなさそうです。その他の物質的な要素、たとえば衣服や住まい、お金や生活必需品も同じですね。それらがあるだけで私たちは生きていけるのです、とは言い切れません。

答えその?・・・楽しみ。楽しみは生きる支えです。過去の思い出でも、これからの予定でも、それによって人は励まされます。しかし、楽しみは温泉に出かけたから、友人とお茶をしたから楽しいといったように、出来事によって引き出されるものです。楽しみが定期的に訪れるように仕組まれていれば良いのですが、そんなシステムに生きているわけではありません。楽しい出来事がないと私たちは楽しくないのです。楽しんでいるフリをしてもそのような空元気は長続きもしないですしね。

聖書の答え・・・希望。聖書には「あなたの将来には望みがある」と書いてあります。とてもシンプルですが、大切なメッセージです。聖書は、私たち人間が考え出したものではなく、神による知恵の書です。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」ともあります。神のことばである聖書こそ、私たちを動かすチカラであり、揺るぎない人生の土台なのです。

◆ 望まれているあなた
希望をもって生きられることは、素晴らしいことです。しかし、なかなかこの「希望を持つ」ことが難しいのが現実です。そこで、どうしたら希望を持って生きることができるのかを考えてみます。
その鍵は、「希望」とは私たちが「持つ」ものではなく、神によって「与えられる」ものだということです。自分で作り出すものは希望ではなく、願望です。不確かで、心もとない憶測でしかありません。真の希望とは、自分以外から与えられる確かな約束でなければなりません。聖書は「旧約聖書」「新約聖書」とあるように、神による「約束のことば」です。そして、約束をされているのが神さまだから、私たちは聖書の言葉を信頼できるのです。聖書の言葉はすべて神が必ずあなたに実現してくださる確約であり、そこに「あなの将来には望みがある」と約束されています。

誰一人「自分で望んで」生まれた人はいません。 けれども、あなたは「望まれて生まれ」た存在であり、それからもずーっと「望まれて生きている」存在です。まことの神さまがあなたに希望を注ぎ続けておられます。実は、あなたが生まれる前からあなたには希望が注がれ続けています。あなたは希望によって生まれ、望みによって生かされ続けている宝の存在だということを忘れないでください。どんな家庭環境で生まれ育ったか、どんな多難な人生を歩んでいるか、 つぶやいて正気を失う前にあなたにはやるべきことがあります。それは、希望を与え続け、それを必ず成し遂げてくださる神さまを仰ぎ見ることです。ずっとあなたは望まれていました。これからもあなたの将来には希望があります。

今年のクリスマスは、ぜひあなたに希望を与えてくださる神さまに感謝の礼拝をささげに教会へおいでください。希望に向かって一歩前へ踏み出しましょう。

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