日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

ことのは

「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。
「ことのは」とは言葉という意味です。
神さまのことばである聖書を、
普段の生活と結びつけて読んで頂ける様に
との祈りをこめています。

ことのは

愛に失敗しないクリスマス

2017年12月5日

『愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。』コリント人への手紙第一13章4節

「愛そうとして失敗」
 誰でも、愛ある生活に憧れます。世の中にはお金がどれだけあっても寂しい人、どれだけ恵まれた環境に育っても不幸な人のいることを知っています。逆に、貧しくても愛に満たされて幸せな人生を送る人もいます。
 マザー・テレサは「この世界は二つの飢えに苦しんでいる」と言ったそうです。一つは「パンの飢え」であり、もう一つは「誰からも必要とされない飢え」です。パンは食べ物、食糧のことです。今の日本に生きる私たちには餓死するほどの食糧難を経験している人は少ないかもしれません。しかし、二つ目の「誰からも必要とされない=愛の飢え」には同意できるのではないでしょうか。私たちは愛し、愛されようと努力します。全部上手くいけばよいのですが、そうもいきません。
 ある時、私たち夫婦の間でこんなことがありました。私が出先から妻の好きなアイスクリームを買って帰り、喜ばせてやろうと思案し「今日はきっと抹茶味だな。以前も好きだと言ってたから」と、意気がって帰宅し妻に抹茶モナカを渡すと「これだけは食べたくなかった…」ととても残念そうな顔を見ることになりました。その場にうなだれる私…今日はそんな気分ではなかったそうです。愛することは実に難しいのです。「愛すること」は自分の思いだけ先行しても、相手に負担をかけることがあります。自分が思った通りには相手に伝わらないことがあるからです。「愛することに失敗しない人」なんているのでしょうか。

「愛されようとして失敗」
 では、愛されることに関してはいかがでしょう。実は、愛されることは、愛することよりも難しいのではないかと感じます。なぜなら、自分のありのままを受け入れ、愛してもらっている自信が私たちにはないからです。私たちはどこかで「愛されるためには、何かをしなければならない」「このままの自分では気に入られないのではないか」「そのうち飽きられてしまうかも」と色々考えているからです。もし、自分はいつでも、絶対に愛されているという自信を持てたなら、その人は「愛されることに失敗しない人」です。無邪気で自由に振る舞う子どもを見てうらやましく思うように、自分も愛されている安心と自由を味わってみたい。けれども、私たちは相手に気に入られよう、
愛されようとして疲れてしまうのです。
  「失敗のない愛がここに!」
 クリスマスは、キリスト教最大のお祭りです。二千年以上も世界中でお祝いし続けています。それは、神の御子イエス・キリストがこの世に誕生したことをお祝いしているからです。神から私たちへの最高のクリスマスプレゼントは、イエス・キリストです。なぜなら、それは失敗のない神から与えられる完璧な贈り物だからです。イエスが『救い主』と呼ばれる理由がここにあります。あなたはすでに失敗のない、完璧な愛で神から愛されているのですから、愛されている自信を持っていてよいのです。そして人を愛する時は、この受けている素晴らしい愛で愛してみるのです。相手が愛されていることに失敗を感じさせない最善の愛、忍耐の愛、親切と寛容の愛で近づくならば、必ずや本当の笑顔が生まれます。

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「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。「ことのは」とは言葉という意味です。神さまのことばである聖書を、普段の生活と結びつけて読んで頂ける様にとの祈りをこめています。

愛に失敗しないクリスマス

2017年12月05日

『愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。』コリント人への手紙第一13章4節

「愛そうとして失敗」
 誰でも、愛ある生活に憧れます。世の中にはお金がどれだけあっても寂しい人、どれだけ恵まれた環境に育っても不幸な人のいることを知っています。逆に、貧しくても愛に満たされて幸せな人生を送る人もいます。
 マザー・テレサは「この世界は二つの飢えに苦しんでいる」と言ったそうです。一つは「パンの飢え」であり、もう一つは「誰からも必要とされない飢え」です。パンは食べ物、食糧のことです。今の日本に生きる私たちには餓死するほどの食糧難を経験している人は少ないかもしれません。しかし、二つ目の「誰からも必要とされない=愛の飢え」には同意できるのではないでしょうか。私たちは愛し、愛されようと努力します。全部上手くいけばよいのですが、そうもいきません。
 ある時、私たち夫婦の間でこんなことがありました。私が出先から妻の好きなアイスクリームを買って帰り、喜ばせてやろうと思案し「今日はきっと抹茶味だな。以前も好きだと言ってたから」と、意気がって帰宅し妻に抹茶モナカを渡すと「これだけは食べたくなかった…」ととても残念そうな顔を見ることになりました。その場にうなだれる私…今日はそんな気分ではなかったそうです。愛することは実に難しいのです。「愛すること」は自分の思いだけ先行しても、相手に負担をかけることがあります。自分が思った通りには相手に伝わらないことがあるからです。「愛することに失敗しない人」なんているのでしょうか。

「愛されようとして失敗」
 では、愛されることに関してはいかがでしょう。実は、愛されることは、愛することよりも難しいのではないかと感じます。なぜなら、自分のありのままを受け入れ、愛してもらっている自信が私たちにはないからです。私たちはどこかで「愛されるためには、何かをしなければならない」「このままの自分では気に入られないのではないか」「そのうち飽きられてしまうかも」と色々考えているからです。もし、自分はいつでも、絶対に愛されているという自信を持てたなら、その人は「愛されることに失敗しない人」です。無邪気で自由に振る舞う子どもを見てうらやましく思うように、自分も愛されている安心と自由を味わってみたい。けれども、私たちは相手に気に入られよう、
愛されようとして疲れてしまうのです。
  「失敗のない愛がここに!」
 クリスマスは、キリスト教最大のお祭りです。二千年以上も世界中でお祝いし続けています。それは、神の御子イエス・キリストがこの世に誕生したことをお祝いしているからです。神から私たちへの最高のクリスマスプレゼントは、イエス・キリストです。なぜなら、それは失敗のない神から与えられる完璧な贈り物だからです。イエスが『救い主』と呼ばれる理由がここにあります。あなたはすでに失敗のない、完璧な愛で神から愛されているのですから、愛されている自信を持っていてよいのです。そして人を愛する時は、この受けている素晴らしい愛で愛してみるのです。相手が愛されていることに失敗を感じさせない最善の愛、忍耐の愛、親切と寛容の愛で近づくならば、必ずや本当の笑顔が生まれます。

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