ことのは

「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。
「ことのは」とは言葉という意味です。
神さまのことばである聖書を、
普段の生活と結びつけて読んで頂ける様に
との祈りをこめています。

ことのは

絆と書いて何と読む?

2010年7月22日

「いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」  ルカの福音書15章32節


「正反対のもの」
 表題の【絆】という字。さて何と読むでしょうか。「きずな」と読むのが圧倒的に多いと思います。またこの語には「ほだし」という 読み方もあります。先日、この   「きずな」と「ほだし」について  ある本から教えられました。
「きずな」も「ほだし」も馬や犬をつなぐ綱、ひもを意味するのですが「きずな」と読めば「離れがたい結びつき」を意味し、「ほだし」と読めば「手かせ、足かせ」を意味するようになるのです。「絆」とは  「つながり」であると同時に「束縛」でもあるのです。
 たとえば、飼い主と犬はひもによって強い【絆】で結ばれています。散歩する時には、二人の間にある ひもは強い「きずな」を表します。 しかし、飼い主が散歩に行く気分や事情でない時にも、犬は外に連れてってくれとせがみます。この時、 あの「きずな」は途端に「ほだし」となって飼い主の気持ちに重くのしかかかってきます。早く散歩に連れて行けとばかりに引っ張られるそのひもが飼い主には束縛となり、ためらいや恨めしささえ感じることがあるのです。


「絆に必要なものは」
 この「きずな」と「束縛」という関係が、  親となった私にもよく分かるようになりました。子どもと一緒にいると強い「きずな」を感じます。子どもの願いに応えるのが嬉しく、それに生きがいを感じることもしばしばです。しかし、時に一人になりたかったり、気分や体調がすぐれなかったりすると、私を求めてくる子どもの声に耳をふさぎたくなることがあります。あの 「きずな」が急に「ほだし」となり、束縛から解放されたいと思ってしまうのです。
 しかし、その著書には「ほだしなしのきずなはありえない」とありました。 これを読んだ時、頭をガツンとされた気がしました。心地良いだけでは「きずな」は生まれないのです。むしろ、自分の感情を乗り越えたり、様々な「ほだし」を味わってこそ、それがより強い「きずな」となる。「束縛されるのは嫌だけど、きずなは欲しい」と言っていては、いつまで経っても 「きずな」を得ることも、太くすることもできないのでした。
 さあ、あなたにも「ほだし」と感じることがたくさんあるでしょう。うんざりして疲れることもあるでしょう。しかし、あなたが感じているその「ほだし」は同時にとても大切な「きずな」でもあるはずです。
苦しみも、うめきも、ためらいもそれは「きずな」であるからです。「ほだしなしの絆はあり得ない」このことばを握っていたいと思います。